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2人目の妊娠も不安がいっぱいのスタートです

現在2人目を妊娠中です。

妊娠が分かったのは、生理予定日から4日ほど経ってからのことでした。

フライング検査だったので薄っすらとした陽性反応でしたが、1週間経って再度検査すると濃くなっていたのでこれは間違いない!と1人トイレの中で喜んだのは9月の下旬のことです。

あまり早く病院に行っても赤ちゃんの入っている袋しか確認できないので10月に入ったら病院へ行こうと思っていました。

そう思っていた矢先に不正出血が始まり、急遽病院へ行くことになったのです。

先生からは「確かに出血あるね~。でもちゃんと赤ちゃんいるよ。だから安心してね。でも今は切迫流産といって危険な状態です。

お仕事してるなら休んで自宅で安静にするように」と指示があり、流産予防の注射を打ち薬を処方してもらいました。

それでも続く不正出血…1人目の時も切迫流産と言われ、少しですが不正出血がありました。

だから今回もか~程度で思っていたのですが、量が全く違います。あの子の時はこんなに出たっけ…不正出血ってこんなに続いてたっけ…と今も不安な日々を過ごしています。

しかも今回はつわりに波があり、元気な日は本当に元気なのですが、ダメな日は本当に布団から出られないような状態です。先生からも「つわりがあるってことは赤ちゃんが元気に育っている証拠だから、つらいけどつわりある方が一つの安心材料なんだけどね~」と仰っていました。確かにその通りだと思います。

つわりが無く出血だけが続くと本当に育っているのかな…などと不安ばかりが募ります。先週も病院で健診を受けましたが、確かに赤ちゃんは大きくなっていたけど素人目で見ても心拍が弱いような…と言った状態でした。

もう妊娠9wです。上の子の時はもうとっくに母子手帳をもらっていました。

でも先生からはgoサインが出ません。今度の健診でちょうど10w0dです。その日に白黒つけましょう、と言われました。

その時は頭が真っ白でした。不正出血も続くし、つわりもない…本当はもうダメなのかもしれないと何度も凹みました。

ただ、やたらとお腹が空くのです。8時前に上の子と朝食を摂り保育所に預けた後一通りの家事を終えるのが10時半。

その頃にはもうお腹が空いてしまいます。

2度目の朝食を摂り12時過ぎに昼食を食べても15時と17時頃にはきっちり空腹感が私を襲います。

周りからは「食べつわりじゃない?」「波があってもお腹空くってことは赤ちゃんに栄養吸い取られているってことでしょ」などと言われるので、その言葉を信じて次回の健診に望みたいと思います。

胎教は本当に効果があるのかどうかとても疑問

妊娠中の時は「胎教」を意識していました。

子供を穏やかな性格の子に育てたいという思いもあって。

そしてまあ、「できるだけ能力の高い子に」なんていう思いもあって、それで胎教を意識していたのです。

しかし、出産して今思うことは「胎教ってあまり効果ないのかも?」なんてことです。だって妊娠中にはできるだけ穏やかに過ごすように努力していましたし、クラッシック音楽を聴いたりと、胎教だってやっていました。けれど、胎教をしていた長男はあまり効果を感じられないのですけれどー。

そして胎教はとくにしていなかった次男は穏やかな性格ですからね。ですからもう、子供の性格や能力は胎教云々ではなく、「遺伝」によるものだーなんてことを思うのです。胎教をしたところで、天才児になるわけではないのでしょう。すべては遺伝によるところなんじゃないかなーと、今更ながら思います。

確かに穏やかに過ごすことは、マタニティーライフにおいてとてもとても大事なことでしょう。

昔は出産なんて命がけのことでしたし、それに妊娠中だって具合を悪くする人が多いじゃないですか。今だってそうでしょう。

だからこそ、胎教もそうでしょうけれど、マタニティーライフが少しでも落ち着けるようにみなさん心がけているのでしょう。私にしてもそうですよ。けれど、健康上のことはクラシック音楽を聴いたところでどうにもなりませんしね。

そして私が激しい性格ですから、少しでも落ち着けるようにと胎教目的もあって穏やかなクラシック音楽を聴いていたのですけれど、長男の性格を考えますと正直「あまり効果がなかったかなー」なんてことも思ってしまったりなんかして。

すべては「遺伝だな遺伝!」なんてことを思ってしまいますね。性格が激しいのも遺伝だと思います。胎教をしたところで、子供自体にはあまり効果がないのかもーなんてことを思ってしまいますね。ママが落ち着くのにいいかもしれませんけれど。

しかしマタニティーライフでは、ショパンの「子犬のワルツ」なんかよりも、シューベルトの「魔王」的な感情になることも多々あったように思います。

イライラして旦那と夫婦ケンカをしたりもしましたからね。バックミュージックは魔王ですよ、魔王。

夫婦ともに激しい性格ですから穏やかな子供になってほしいと、胎教を意識したのですがあんまり効果がなかったなーなんて思ってしまう感じです。今でもクラシック音楽のCDを見るとマタニティーライフを思い出しますね。

シンガポールでの妊娠生活

 シンガポール人の旦那と結婚して、3年の月日が経ち、猪年になったとき、突然子作りが始まりました。ふと、周りを見れば、旦那のお友達の奥さん、皆さん、妊娠しています。

何事かと思ったら、なんと、この年は、何年かに一度しかやってこない「金豚」の年だというのです。

「金豚」の子は、お金に困らないらしく、そういう風習、昔からの考え方を大事にするシンガポール華人たちは、一斉に子作りに入りました。

私もなんとか滑り込みセーフで、妊娠することができました。妊娠3か月から始まった悪阻で、日中ほとんど寝て過ごすようになりました。匂いに敏感になり、食事を作ることもできませんでした。

テレビで、食べ物が映っただけで、気持ちが悪くなるという、そんな日々を送っていました。

寝ているときだけ、悪阻を忘れることができました。

ただひたすら、寝て忘れようと頑張る私でしたが、たびたび邪魔が入りました。

旦那のお母さん、つまり、義母です。当時、電車で30分くらい離れた場所に住んでいましたが、私が妊娠してからというもの、毎日のように家を訪問されました。

初めての妊娠で不安に思っているであろうと心配してくれたのだとは思いますが、お義母さんの相手をすることがどんなに今の私にとって苦痛なことか・・遠回しに何度となく言いましたが、全くお義母さんには届きませんでした。

毎日のように、我が家に来て、我が家の台所で、妊娠中に飲めば透き通った皮膚の赤ちゃんが生まれるとかで、かなりの高級食材である「燕の巣」を食べさせられました。しかしながら、悪阻で、何もたべられなかった私には、この「燕の巣」が何かの罰ゲームであるかのように、重く、きつく、辛かったです。

無理して食べると、吐いてしまうので、あまり意味がないことも何度も説明しましたが、全く聞いてもらえませんでした。今だから言いますが、お義母さんが返ったあと、即ごみ箱行きになっていました。

悪阻がやっと終わりを迎えたころ、私は、うれしくて、何かを食べられることに感動し、いろいろ今まで我慢していたものを食べるようになりました。

悪阻から解放され、ちょっとハイテンションな私を見て、お義母さんが「パイナップル、生物はダメ、寿司は絶対ダメ、ネイルもカラーもダメ、コーヒーも飲んではダメ」と私のテンションをガンガン低くする言葉を発し始めました。

そして、最後には、「本当に、大丈夫なの?あなた?」と言われ、この言葉を聞くのが苦痛になり、私は、シンガポールで出産するのをやめ、5か月のとき、日本へ里帰り出産することにしたのです。

妊娠中の体重増加の主な原因と、その予防法について

妊婦健診で毎回調べる事の一つに「体重」があります。女性にとって、体重が増える事は恐ろしい出来事ですが、妊娠中はその体重増加を健診の度に目の当たりにしなければいけないのです。

妊娠初期は、つわりで食事が取れなかったり、まだ赤ちゃんや子宮も小さいので、そこまでの増加はありませんが、つわりが終わったあたりからの体重増加には、自分の目を疑いたくなる程です。

私の場合は、安定期に入ったあたりから、急に体重が増え始め、多い時は1週間に1kg(1か月で4kg)という事も。さすがにその時は助産師さんとの面談で「体重増えすぎると出産が大変になるから、気をつけようね」と注意されてしまいました。

自分では、そこまで食事量を増やしていたつもりはなかったので、大変なショックでした。

妊娠中はホルモンの影響で、体が食べ物を蓄えるように変化するようです。

それが原因で、普段と同じような食生活をしていても、体重が増えてしまうようなのです。

また、つわりなどの時期には、できるだけあっさりしたものが食べたくなり、食事は取れなくてもフルーツなどを食べてしのいでいたという方も多いと思います。そのフルーツが実は太りやすい食べ物なのでそうです。

フルーツに含まれる果糖は、量も多ければ食後の吸収が大変よいので、フルーツをたくさん食べると、糖分がたくさん身体に吸収され、どんどん太ってしまうのだそうです。

実際、私が急激に太った時期は、つわりが回復してきた時期でしたが、それまでつわりの時期はフルーツしか食べられなかったので、毎食フルーツを食べていました。

つわりが回復して通常の食事ができるようになった後でも、食後にフルーツを食べる習慣は変えられず、食事量としてはそこまで多くなかったのに、フルーツの摂取量としては結構な量だったと思います。助産師さんにも「フルーツをやめなさい」と指摘されました。

助産師さんの助言に従い、まずはフルーツを毎食後から一日一回だけに減らしました。

さらに、糖質の量も気にするようになり、少しおやつを食べてしまった日には、夕食のご飯(炭水化物)の量を減らしたりして調整しました。1食抜くなどの極端なやり方だと、お腹の赤ちゃんの発育に影響しそうで怖かったので、量の調整というやり方で体重増加予防を心がけました。

さらに、安定期にはできるだけたくさん散歩するように気をつけました。

妊娠しているとどうしても身体を動かす事が面倒になり、普段よりも身体を動かす機会が減ってしまっていたので、散歩という無理のない範囲で運動(特に下半身)することを心がけました。

結果、妊娠時期を通して、合計12kgの増加で出産することができました。

が、出産後の体重の戻りは大変ゆっくりで、しかも未だ全て帳消しにはなっていないです。

妊娠・出産ってツラいのは陣痛と分娩だけだと思っていました

遠距離恋愛を経て結婚した私。結婚してからも仕事の都合でしばらくは別居婚でした。

ようやく一緒に暮らすようになり、直ぐに授かった新しい命に夫婦そろって大喜びしたのは、ついこの間のことのようです。私は妊娠しても、無理をしなければ仕事は続けられるものだと思っていました。

ある程度お腹が大きくなれば産休に入り、大きくなったお腹をなでながら穏やかに生まれてくるのを今か今かと楽しみにしているものだと思っていたんです。

しかし私のマタニティーライフは全く想像と違っていました。

というのも、妊娠早々酷い悪阻が私を襲ったのです。本当に何も口にすることができず、水やお茶を飲むのさえやっとの思いでした。食事なんて食べられたものではありません。

パウチタイプのゼリーを横になって吸うのがやっとといった感じで、栄養を摂らなくてはいけないと分かっていながらも私の体重はみるみる減っていくばかりでした。

妊娠初期はよく何もなくても「無理しないように」「できるだけ安静に」と言われるそうです。当然ですが、私は意図的に安静にしていたわけではありません。それらのに、まさかの不正出血まで始まって本当に何が何だか…といった状態でした。

つわりで食事はできない、吐く物などないのに酷い吐き気、そしてトイレに行く度に見る不正出血…本当に大丈夫なの?ちゃんと育っているの?と毎日が不安で仕方ありませんでした。

本来なら4週に1度と言われている初期の健診も切迫流産と言われ週に1度は病院に通い。つわりや不正出血が落ち着いたのは安定期に入ってしばらく経ってからのことでした。

これでようやく落ち着いたマタニティーライフを過ごせるかと思っていたのですが、まさかのタイミングで義父が倒れ、義家族から「長男の嫁なんだから面倒をみろ!」などとひっきりなしに連絡が来るようになったのです。

その頃、私は切迫流産の危機を脱したものの今度は切迫早産と言われている時期だったので、とてもじゃないけど入院している義父の面倒など診られる状態ではありません。

精神的に大きくダメージを受け病んだ時期でもありました。とても穏やかなマタニティーライフではなかったです。主人とも毎日ケンカばかりだったので…

妊娠と出産ってツラいのは長く続く陣痛と”鼻からスイカ”と言われる分娩の痛みだけだと思っていました。

でもそれは大きな間違いで、妊娠すると酷いつわりに襲われたり、不正出血や些細なことでブルーになったり、妊娠初期からツラいことだらけだった気がします。

それでも娘が元気に生まれてきてくれたあの喜びで全てが帳消しになった気がしています。

不妊治療をやめたら・・・。高齢出産でやっと会うことが出来た三人目の赤ちゃん。

30代で次男を出産。私はどうしても三人子供が欲しかったのですが、その後はなかなか授からずにいました。

40歳を目前に不妊治療を開始したのですが、子供が出来ない原因も分からず周期に合わせて薬を飲み、タイミングを合わせること2年。

薬による副作用はきついのに、それでも子供が授からないことで落ち込む日々。そんな時夫に言われた言葉が、「うちには健康に育ってくれている子供が二人いるよ?まだ見たこともない三人目の子供のためにお前が体調を崩して暗い顔をしているのは何か違うんじゃない?」でした。

その言葉にハッとして不妊治療を諦め、今そばにいる二人の子供のために楽しく生活しようと決めました。

私の仕事はシフト制ですごく忙しく、夜、子供を夫だけに預けることも多くありました。

子供にも淋しい思いをさせていることもあったため、次男の小学校入学を期に退職。家庭に入ることにしました。

3月に退職し、4月は次男の入学の準備に追われる日々。無事に入学式を終えたころ、ずっとすっきりしない体調不良と生理が遅れていることに気が付きました。

「まさかね・・・。」と思いながらも検査をしてみると・・・。

何と、陽性判定!

2年間、薬を飲んでタイミングを合わせても授からなかったのに、まさかの自然妊娠でした。

その時の年齢、43歳。

高齢であるがゆえに不安も大きく、すごく悩みました。

でも、ずっと待ち続けていた三人目の赤ちゃん。

その子がどんな状態で生まれてこようと受け入れる決心をして夫に話しました。

夫はやはり驚いていました。そして、「大丈夫かな。」と。

私の「堕ろす選択肢はないよ?」と言う言葉に、「そうだな。育てようか。」と、答えてくれました。

妊娠期間中は、やはりネット検索魔になってしまいネガティブなことばかり考えてしまうこともあったのですが、それに反してお腹の中ですくすくと成長する赤ちゃん。本当に頼もしい限りでした。

性別も初めての女の子と判りさらに期待が高まる中、今回初めておくるみやトッポンチーノという赤ちゃん専用の座布団を手作りしました。

毎日生まれてくる赤ちゃんの顔を思い浮かべながら、時々ネット検索魔になりながらも人生最後のマタニティライフを楽しんでいました。

しかし臨月に入り出産準備も整ってきたころ、緊急入院することになりました。

赤ちゃんの推定体重が小さく、前回の診察から育っている様子がないとのこと。

胎児心拍数モニターでも時々心音が落ちるとのことで、入院して赤ちゃんの様子を観察することになりました。

「ここまで順調にきたのに・・・。」

私は妊娠初期に抱えていた高齢出産に対する不安を毎日考えるようになってしまいました。

「赤ちゃんに問題が起きていたらどうしよう・・・。」そればかり考えていました。

経過を観察した結果、赤ちゃんが陣痛に耐えられるだけの体力はないだろうと判断され、帝王切開へ。

生まれてきたのはなんと、標準体重である2800gの元気な女の子でした。

しかし、赤ちゃんはへその緒を体にぐるぐる巻きつけた状態で生まれてきたとのこと。

結果的には早めに帝王切開したことは良かったのです。

もし、陣痛が来るのを待っていたら・・・。自然(経腟)分娩を行っていたら・・・。

何かしらのトラブルの可能性も高かっただろうと言われました。

現在その時の赤ちゃんも、もうすぐ3歳。

お兄ちゃんたちに負けないくらいのヤンチャな女の子です。